18日の池袋教会の聖壇の花

18日の池袋教会の聖壇の花
紫は苦難を表す色。この日から受難節が始まった。

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by minitayori | 2018-02-24 21:41 | Trackback | Comments(0)

「みにたより360」

「みにたより360」
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 久しぶりの小春日和で、近くをカメラを持って歩いてみた。自然は正直だ、この春の暖かさで梅の花と桜の花が咲いているのを見つけた。正直私の眼には梅と桜の区別は分からない。ただカメラに頼るしかない。

 最近何人かの友人にメールをしたのだが、うっかり送信を押してから、変換ミスでとんでもない文字になっていて、恥ずかしい限りだ。このような文章を書くときには、後で確認することが出来るので何とか間違いを直しているが、それでも書いている時とブログに送った後では違うようで、後で何度も編集し直して、間違いを最小限に抑えているのだが・・。

 老いの坂は降るのか登るのか、と言うなぞなぞの文章を見つけた。面白いと思ったが、自分としてはなんと答えようかと思った。

老いと言うのは弱くなると言う意味にもなるが、豊かな経験を持つという意味でもあるはずだ。しかし、世の中では、老いは働きが出来ないと言う意味にもなる。人生100年時代と言われるが、100年を何を目的に生きたらよいのか分からない。

 しかし、私は信仰に置いて、老いの坂は登るものだと思いたい。新しい天地。神様が待っていてくださる天に向かい、苦しみも悲しみもない、私の涙をぬぐいさって下さる方のみもとに憩う、その様な場所に向かって登ってゆく、それがイエス様にある信仰の生き方であると思っている。

日々、「見よ世の終わりまで、いつもあなたと共にいる。」と言われたイエス様と共に、天に向かって登る道を、意気揚々と進んでいきたい。このように感じるのは、老いてきたせいかもしれないが、日々を楽しみ、希望を持って生きたいものです。e0191585_21224247.gif



by minitayori | 2018-02-24 21:25 | Trackback | Comments(0)

紅梅

紅梅
近くの日当たりのよい駐車場に咲いていた紅梅。
青空に誇らしげに咲いていた。桜かな?とも思ったが・

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by minitayori | 2018-02-24 21:18 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2月25日 マルコによる福音書10章33-45節

225日 四旬節第2主日 マルコによる福音書1033-45
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10:33 「今、わたしたちはエルサレムへ上って行く。人の子は祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。彼らは死刑を宣告して異邦人に引き渡す。 10:34 異邦人は人の子を侮辱し、唾をかけ、鞭打ったうえで殺す。そして、人の子は三日の後に復活する。」

◆ヤコブとヨハネの願い

10:35 ゼベダイの子ヤコブとヨハネが進み出て、イエスに言った。「先生、お願いすることをかなえていただきたいのですが。」

10:36 イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、

10:37 二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」

10:38 イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」

10:39 彼らが、「できます」と言うと、イエスは言われた。「確かに、あなたがたはわたしが飲む杯を飲み、わたしが受ける洗礼を受けることになる。 10:40 しかし、わたしの右や左にだれが座るかは、わたしの決めることではない。それは、定められた人々に許されるのだ。」

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「礼拝に備えて」


 イエス様は今私達の救いのために十字架への道を歩み始める決意を弟子たちに伝えています。しかし、弟子たちは主の決意よりも自分達の願いを優先して期待しています。


『イエスが、「何をしてほしいのか」と言われると、:37 二人は言った。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの一人をあなたの右に、もう一人を左に座らせてください。」』これが弟子たちの気持ち、いや今の私達の気持ではないだろうか。イエス様が弟子達と今の私達に問いかけているのは、10:38 イエスは言われた。「あなたがたは、自分が何を願っているか、分かっていない。このわたしが飲む杯を飲み、このわたしが受ける洗礼を受けることができるか。」と言う言葉ではないか。

イエス様は私達が受ける杯(十字架)を負う事が出来るか、と問われた。自分の十字架を負えるのだろうか、と自問してしまう。

しかし、イエス様の十字架はイエス様に与えられた神様のみ旨。私には教会には、あなたにはあなただけに与えられたみ旨、十字架がある。神様の愛のみ旨を行うと言う使命。そのために命をかけると言う事ではないだろうか。

 教会が信徒が、イエス様を通して示される「神様の愛=み心」を委ねられた十字架として負う覚悟がなければ、教会は命を失い、力を失ってしまうだろう。
 しかし。教会に預けられている十字架による神様の愛は決して力を失う事はないし、輝きを失いうこともない。私はそのことを信じ、老いても神様の愛に輝く生き生きした教会になることを願い続けている。

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by minitayori | 2018-02-24 21:12 | Trackback | Comments(0)

しだれ梅

しだれ梅
アパートの裏にあるしだれ梅の木に花が咲いていた。
5分咲きかな。日のあたりが悪いのか、いまひとつかな。でもやっと春が来た。

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by minitayori | 2018-02-24 20:57 | Trackback | Comments(0)

11日の池袋教会の聖壇の花

11日の池袋教会の聖壇の花
次週から聖壇の色が紫になる。四旬節に入り、イエス様の苦難を
覚える週が始まるからだ。その日を迎える準備のようンに白一色。
十字架で赤い血が流れる。紫・苦しみ。私たちの救いのために。

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by minitayori | 2018-02-17 22:19 | Trackback | Comments(0)

「みにたより359」

「みにたより359」

春が来たかと思ったらまた寒くなった。寒さの中で足腰の弱ってゆくのがからだで感じるようになった。人生には山坂谷がある、と誰かの結婚式で、先輩の方が話しているのを何回か聞いたことがある。山には登る苦しみもあれば、頂上に達した時の楽しみもある。

神学校の卒業が決まった時、青春の最後の思い出に東京から故郷まで自転車で帰ろうと思った。なけなしの小遣いで中古の自転車で300キロの道を走破した。箱根では上りは、変則ギヤ―のついていない自転車だったので歩いて登り、くだりでは、ブレーキが壊れそうになって歩いて下った。

そういえば箱根では池袋教会の教会学校のキャンプが開かれており、そこで一泊。家内は当時教会学校の教師をしていて、度々その時のことが話題になる。学生が奉仕しているのに、神学生は暇でいいなーとおもっていたと。この自転車の旅は静岡を超えて、金谷の峠で土砂降りの雨に合い、合羽を着て自転車をこいでいたら後ろからきたトラックの爆風?にあおられて崖下に転落。

足に切り傷を作って、結局は近くの駅まで歩き、愛知県の自宅まで電車で帰り、初志貫徹のために次の日にもう一度駅に預けておいた自転車で完走。二三日家でアルバイトをして帰京の費用を貰い、中古自転車は廃棄して東京に帰った。苦しい経験は後で思いだすと楽しいものですね。

考えて見れば、コッペパンと牛乳だけの野宿に近い旅。苦しさを乗り越えた、目的を完走したと言う思い出だけだが、若いっていいものだと今は思う。苦しい時、体がきつい時、この決めたことを最後までするという心の中の決意に忠実であると言う事が、自分の生き方になっていたように思う。古い昔のことを思い出した。

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寒さに震えながら皆既月食を写そうと頑張ったがここまで写して
ギブアップ。かけたところは光が暗く、私のカメラでは写せなかった。



by minitayori | 2018-02-17 21:55 | Trackback | Comments(0)

聖壇に飾られていた花

聖壇に飾られていた花
いつもは全体として見られるがこの日は一つ一つの花に
眼を注いでみた。いろいろな花が一つの花瓶に活けられ
ていた。前の花、後ろの花、どの花もおかれたところで
文句も言わずに咲いていた。君がいるから美しい、そっ
と語ってあげた。

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by minitayori | 2018-02-17 21:48 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 2月18日 四旬節第1主日 マルコ福音書1章12―13節

218日 四旬節第1主日 マルコによる福音書11213

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1:12 それから、“霊”はイエスを荒れ野に送り出した。:13 イエスは四十日間そこにとどまり、サタンから誘惑を受けられた。その間、野獣と一緒におられたが、天使たちが仕えていた。

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「礼拝に備えて」

 マルコは非常に簡潔にイエス様の荒野での誘惑について記している。誘惑の内容もイエス様と悪魔とのやり取りも記していない。ただ、天使たちがイエス様に仕えていた、とだけ記しています。マルコは自分の福音書を通してイエス様が神様の子であったことを端的に伝えようとしている。そのためには「天使が仕えていた」と語ることで充分であったのだろう。

 昔、誘惑と試練と言う言葉はギリシャ語でが同じ言葉で書かれていると聞いた。原文の書かれた本をあげてしまてないので確認が出来ないが、「ヘイラスモス」という言葉で記されていたように思う。同じ言葉で書かれているのは、誘惑と試練と言うのは似た形で私達の所にやって来て、私たち自身がどちらかを選んでしまう。

 誘惑を選んで身を滅ぼしたアダムの例がある。アダムは誘惑にあった時に神様に従う事によって、誘惑を退け、信仰を強くし、神様への信頼関係を強くすることが出来たはずだった。日常の中で多くの誘惑がやってくる、苦難や悩みとしてもやって来て、私達を神様から引き離そうとする。その時、神様のみ心を第一にすることで信仰を強くすることが出来るのだ。今私の行っている教会の婦人の有志の方に讃美歌を手話で歌えるように教えている。先週は「神の国と神の義を、まず第一としなさい。」と言う歌を学んだ。

 神様の国と神の義を第一とするなら、全ては与えられる、という短い歌を手話で歌った。イエス様は、全ての誘惑を神様を第一とすることによってしりぞけ、ゲッセマネの園で十字架の時を前に、血の汗を滴らせ苦悶の中で「み心がこの身になりますように!」と 祈られた。苦しい時、悲しい時、孤独になった時、「み心がこの身になりますように。」と祈りつつ与えられ

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た道を歩み続けるっものでありたい。


by minitayori | 2018-02-17 21:41 | Trackback | Comments(0)

2月4日の池袋教会聖壇の花

2月4日の池袋教会聖壇の花

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by minitayori | 2018-02-10 22:50 | Trackback | Comments(0)