キリエ「復活の朝」

復活の朝
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墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。:6 若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。
        マルコによる福音書16章1~8節より 作 小嶋



by minitayori | 2018-03-31 22:29 | Trackback | Comments(0)

「みにたより365」

「みにたより365」

 先週はお葬儀の準備で心身ともに緊張と疲労でブログの準備ができませんでした。老いの現実の厳しさを痛感した一週間でした。この2月の20日は79歳の誕生。娘や孫の手作りのプレゼントや、会食もしたが、心ここにあらずで過ごしてしまった。

 次の日曜日(41)は結婚50年の記念の日、この日も疲れてしまうだろうから、お菓子でも買ってきて、ささやかに健康で今日を迎えられたことを祝おうと思っている。でも、やはり敬愛する友ご夫妻の葬儀を行い、み国に送って二人で再会を祝っているだろう、とそのことが、残された者の寂しさと共に、心のどこかでほのかな暖かさを感じる。

 葬儀が終わって、疲れ切った月曜日、近くの団地の桜並木がきれいだと娘に聞いて見に行った。満開の桜は散り始めたが、新録の葉がもう出始めていた。かなりの老木もあり、電線にかかったのか上の方が切り取られた桜の木もあったが、満開の桜はきれいだった。

 満開の花あり、散る花びらあり、新緑の葉もあり、人生のように感じた。友人はウイーンで最初の国立歌劇場の専属歌手となり、第一線で活躍された。高齢んなられた母親のために日本での活躍を決断し、東京、そして藤沢に居を構えて活躍。小石川教会に転入され、何度もチャリティーコンサートをしてくださった。

 飯田に転任すると、飯田にも何度か来てくださり、熊本に転任したら、また多忙の中、予定を作ってくださって来熊。演奏会をしてくださり、次の日に帰京、体調の異変を感じ精密検査をしたら、進行性大腸がんと診断され、余命宣告もされた。

 私はこの友人とは祈りにおいての強いきずなで結ばれた。桜並木を歩きながら、その日々を思い出していた。15年の間、繰り返し手術をしながら病気と闘いながらコンサートを開催し続けた。昨年の月には、また再発、50周年記念のコンサートをぜひとも開催すると決断され、再発した病巣をそのまま、痛みどめで舞台に立たれた。

 召される前日、完成した50周年記念のCDを初めて聞き、笑顔でよし!とうなずいて眠りにつかれた。そのまま誰にもみとられることなく旅立たれたという。

桜の老木の下に立ち、ひらひらと舞い来る花びらに打たれながら、この花も神様に託された最高の花を咲かせ、散ってきたのだろう、と手のひらにそっと受け止め、立ちつくしていた。

 新緑の葉が、棺を囲んでいたお弟子さん≪門下生)たちに思えた。きっと来年も新しい花が咲くだろう。

懸命に咲く花だからこそ美しく、自分の花としていとおしい。

私の中には他人の花は咲かない。

そよ風に散る花でも、一生懸命咲こうとする。

私の花だから、どんなに弱くても懸命に咲く花だから美しい。

そんな花を、私は飾りたい。

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by minitayori | 2018-03-31 22:12 | Trackback | Comments(0)

満開の桜花の中に新緑の若葉も

新緑の若葉も
きれいに咲いた桜の花が、桜吹雪になり始めていたが、新しい
命を告げるように、若葉が見えた。復活の希望でしょうか。

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by minitayori | 2018-03-31 21:59 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 復活日 4月1日 マルコ16章1~8節

41日 マルコによる福音書16章1~8

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16:1 安息日が終わると、マグダラのマリア、ヤコブの母マリア、サロメは、イエスに油を塗りに行くために香料を買った。:2 そして、週の初めの日の朝ごく早く、日が出るとすぐ墓に行った。:3 彼女たちは、「だれが墓の入り口からあの石を転がしてくれるでしょうか」と話し合っていた。

16:4 ところが、目を上げて見ると、石は既にわきへ転がしてあった。石は非常に大きかったのである。:5 墓の中に入ると、白い長い衣を着た若者が右手に座っているのが見えたので、婦人たちはひどく驚いた。:6 若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。

16:7 さあ、行って、弟子たちとペトロに告げなさい。『あの方は、あなたがたより先にガリラヤへ行かれる。かねて言われたとおり、そこでお目にかかれる』と。」

16:8 婦人たちは墓を出て逃げ去った。震え上がり、正気を失っていた。そして、だれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。

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「礼拝に備えて」

 今年も復活日に、悲しくも良い思いでが加わった。3月の半ばに敬愛する友人が病床で、会いたいと電話があった。16回目の手術を行ったあとで心配をしていた。古くからの教会の友人が車で送迎を申し出ていただき、安全な最寄りの駅から送迎をしてくださった。

 敬愛する友人は、病床に横たわっていたが、思いのほかしっかりした声でお話が出来、両手を握り合ったままでしばらく話していた。教会の友人と共に病床聖餐を行い、祈りをして別れた、「先生、天国でまた会えますよね!先に召された主人にも会えますよね。」

 今まで何度となく尋ねられた質問だった。「これはイエス様のお約束、神様のお約束ですから・・。」私にはどんなところか分かりませんが、そこでは神様が一緒にいてくださり、私達の涙を全て拭い去ってくださる(黙示録21章)のお約束を話し、イエス様がお約束してくださったことですから、必ず「また会いましょう!」と力ずよく手を握り合って別れた。「また会いましょう!」

 その約束は、私には近いうちに病院で会いたいと言う意味が強かったが、それから何日かすぎて、その方は11月に行われた50周年記念コンサートの自分の歌声を全曲聴いて、満足して眠りに着き、そのまま召されていった。

 日本を代表するオペラ歌手であったその方は、「私の事、話してね!」と後のことを託してくださった。私の第一号の洗礼者は父であり、79歳になって、最後に友人を送ると言う機会が与えられた。

 最後になるであろう敬愛する友人の葬儀。寂しいけれど不思議にかなしくなかった。「また会いましょう!」と言う言葉を心の中で繰り返しながら・・

次の日曜日はイエス様の復活日の記念礼拝。イエス様の復活の故に、別れが希望に代わる。その喜びを確認する礼拝にしたい。

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by minitayori | 2018-03-31 21:53 | Trackback | Comments(0)

桜並木

桜並木
自宅から8分ほどのところにある団地の通路の桜並木。
古木が多くて昨年より私の桜見物の場になりました。
夜桜が見えないのが残念。

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by minitayori | 2018-03-31 21:32 | Trackback | Comments(0)

桜開花

桜開花
青い空に桜、この日東京の桜の開花宣言がなされた。
基準はソメイヨシノという桜で公園の桜の木に咲いた
花の数によって宣言するのだそうだ。花見はここで
充分だ。この花の美しさはこの花だけの美しさだから。
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by minitayori | 2018-03-17 21:29 | Trackback | Comments(0)

「みにたより363」

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現代という時代は、汗して人のために奉仕するということを嫌う時代になってしまった。自分が損をすることは何一つしないという考え方が、人々の心に蔓延してきていると嘆いた人がいます。「奉仕」とか、「奉仕的」とかいう言葉を聞いただけでも、鼻先で笑う人が多い今の世の中です。

しかし、不思議なことに私たちの心には、他を愛することを喜び、他を喜ばすことができたとき、ほのかな心のぬくもりとを、感じるものです。近年起こった菜災害地に入り、ボランティアをした青年たちが、すがすがしい笑顔で喜んで報告していました。これは私たちに与えられた神の恵みであると思います。

 ある少女が、富士の裾野にある病院に入院することになりました。はじめて自分の病名を知った少女の驚きと絶望は、どんなであったでしょう。彼女は自死の誘惑と戦う日々が続きました。ある時、病院を訪問した牧師さんからもらったー冊の聖書を、少女は一生懸命に読みました。そして2年。少女はイエス様の十字架の愛を知り、その愛に包まれている自分を知り、イエス様をを信じるようになりました。

 そんなある日のこと、再診で少女は誤診であったことが判明したのです。少女の心境はどんなでしたでしょう。彼女はこの間の経験を決して無駄にしませんでした。退院した彼女は、東京に出て2年間、看護婦養成所で勉強し、看護婦の資格を得ました。そして自分の家にではなく、自分がもと入院していた病院に看護婦として帰って行ったのです。そして70歳の高齢で死ぬまで、そのー生を病者の杖、病院の柱となって、奉仕の生活を生き抜いたのです。

 私たちももっとゆとりをもって、人々のために奉仕のできる人間、キリストのために愛を担って、奉仕のできる人間になりたいものです。いや、自分自身の心の喜びに正直に生きる人となりたいものです。この時代は、そういう人間を求めていると思うのです。

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by minitayori | 2018-03-17 21:19 | Trackback | Comments(0)

花壇の黄色水仙

花壇の黄色水仙
裏に庭に桜、表には白と黄色のスイセンが咲いていた。こんなに近くに
美しい花があるのを見落としていた。神様の恵みも身近にあるが見落とし
てしまうことが多い。いや神様に目を向けるのを忘れているからだろう

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by minitayori | 2018-03-17 21:09 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 3月18日 受難節第5主日 ヨハネ12章36-50節

318日 受難節第5主日 ヨハネ福音書1236-50
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12:36 光の子となるために、光のあるうちに、光を信じなさい。」

12:44 イエスは叫んで、こう言われた。「わたしを信じる者は、わたしを信じるのではなくて、わたしを遣わされた方を信じるのである。 12:45 わたしを見る者は、わたしを遣わされた方を見るのである。

12:46 わたしを信じる者が、だれも暗闇の中にとどまることのないように、わたしは光として世に来た。

12:47 わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。


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「礼拝に備えて」


 「わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。」イエス様の十字架の時が間近になって、イエス様のみ言が燃えるような情熱が加わってきました。そのイエス様のお心は、私達が神様の命、永遠の命に至ることを願っての思いです。


 特に今日の日課で「12:47 わたしの言葉を聞いて、それを守らない者がいても、わたしはその者を裁かない。わたしは、世を裁くためではなく、世を救うために来たからである。」とのみ言が木になりました。み言を聞いても守れないことが多い人であっても、イエス様は「その者を裁かない。」と言われました。


 イエス様のお心は、ひたすら、全ての人、そしてあなたへの愛であり、私への愛であることをおっしゃりたいのです。その実現のためにイエス様はひたすら十字架の道を歩まれます。裏切りの弟子達と共に、あざける人々のとの中を、子ロバに乗って歩まれるイエス様。その先に待っている十字架の苦しみをしっかりと見つめて進まれる。


 その人々の中に自分の姿を見出し、心が痛む。昔、青年の頃、何人かの仲間と一緒に当時はやっていたゴスペルソングを歌った。その中に「ドロロッサ=悲しみの道」と言う歌があったのを思いだした。歌いつつ心に熱いものを感じたものです。


改めてこの歌の本を見つけ歌ってみた。イエス様のお心を思うと涙を禁じえない思いがする。あの時の純粋な思いが今も残っていたのか、それとも老いて涙もろくなったのか。私達へのイエス様の思い、しっかりと受け止めたい。



by minitayori | 2018-03-17 21:04 | Trackback | Comments(0)

裏庭の桜

裏庭の桜
このアパートに来て4年になるが、初めて裏庭にある桜の花に
気がついた。ベランダにある桜花、青空にきれいだった。

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by minitayori | 2018-03-17 20:52 | Trackback | Comments(0)