シャクヤクの花一輪

シャクヤクの花一輪
薄暗いお庭の一角に咲いたシャクヤクの花一輪、庭全体を
明るくしてくれる。そんな人間に私もなりたい。

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by minitayori | 2018-05-26 21:46 | Trackback | Comments(0)

「みにたより341」

「みにたより341」

 先週は池袋教会で6月24日から一週間予定されているキリエ展の準備で、わが部屋は足の踏み場もないほどになっていまった。引越しのままに押し入れの中にしまいこんでいたキリエ額を出し、一枚一枚点検をしながら、ずれている絵を直したり、修復したりの日々でした。

 作品名と聖画として作ってあるので、聖書の個所と作った時の意図などを書いてくれてお言われたが、なかなか記憶を引き出すのが難しい。目ぼしいものは学校や施設に寄贈してしまっているので、せっかく来てくださるひとびとに喜んでもらえる物が少ないのが残念だ。しかし、作品をしまう所がなくて額の裏に保管している物が何枚か出てきて、少し形が整いそうになった。

 教会の方が搬送のお手伝いに来てくださったので、22日やッと間にあわせて20点ほどの額を送り出した。気に入った絵には気にいった額装をしてやりたいので、ネットのオークションで見つけて、手に入れて送り出した。

 どんな飾り付けになるかわからないが、とにかく自分にとってこれを終りの展示会にしたい。キリエも小さなものを作って、楽しみながら出来る範囲にものにして行こうと思っている。そんな訳で前号は礼拝に備えてだけになってしまい、失礼しました。


by minitayori | 2018-05-26 21:42 | Trackback | Comments(0)

クレマチス

クレマチス
アパートの前の家には色とりどりのクレマチスが咲いていた。
建て替えられるのか今はさら地になってしまった。四季折々に
珍しい花を見せてくれたのに残念です。新しい家にもまた
花が咲いてくれるように願いつつ、さら地の横を通っている。

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by minitayori | 2018-05-26 21:39 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 5月27日 ヨハネ福音書3章1-12節

礼拝に備えて

 三位一体主日 527日 ヨハネ福音書31-12

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◆イエスとニコデモ

3:1 さて、ファリサイ派に属する、ニコデモという人がいた。ユダヤ人たちの議員であった。

3:2 ある夜、イエスのもとに来て言った。「ラビ、わたしどもは、あなたが神のもとから来られた教師であることを知っています。神が共におられるのでなければ、あなたのなさるようなしるしを、だれも行うことはできないからです。」

3:3 イエスは答えて言われた。「はっきり言っておく。人は、新たに生まれなければ、神の国を見ることはできない。」 3:4 ニコデモは言った。「年をとった者が、どうして生まれることができましょう。もう一度母親の胎内に入って生まれることができるでしょうか。」3:5 イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。だれでも水と霊とによって生まれなければ、神の国に入ることはできない。

3:6 肉から生まれたものは肉である。霊から生まれたものは霊である。

3:7 『あなたがたは新たに生まれねばならない』とあなたに言ったことに、驚いてはならない。

3:8 風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである。」

3:9 するとニコデモは、「どうして、そんなことがありえましょうか」と言った。

3:10 イエスは答えて言われた。「あなたはイスラエルの教師でありながら、こんなことが分からないのか。3:11 はっきり言っておく。わたしたちは知っていることを語り、見たことを証ししているのに、あなたがたはわたしたちの証しを受け入れない。3:12 わたしが地上のことを話しても信じないとすれば、天上のことを話したところで、どうして信じるだろう。

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「礼拝に備えて」

 自分が納得すると言う事と、信じると言う事との間には全く相いれない溝がある。私達は知っているから信じるのか、主を無条件で受け入れる心で信じるのか、自分自身で自問自答しなければならない。

 納得は自分の知識で理解できる範囲のことしか受け入れていない。しかし、信仰、信じると言う事は、私達の理解不能なことでもそのまま受け入れることではないだろうか。少なくとも聖書を見ると、神様の愛は理屈で理解してからの愛ではなく、まず受け入れてくださる事から始まっている。

 聖書の中の放蕩息子のたとえ話を思いだして見よう。父の財産を半分分けてもらった弟はその全財産を使い果たして、豚の餌さえ食べたいと思うようになりさがって、父のもとにとぼとぼと帰って来た。その息子を家の前で待ち続けた父親は、まだ遠く離れているのに走り寄り、抱きしめて、死んでいた息子が生き帰ったと喜んだ。これが私達に対する神様の真心なのです。この神様の愛を知る時、私達は神様が私達に注いでくださる愛のお心を、そのままに受け止める心=信仰の心が生まれるのです。この時に私達は本当の信仰を持つことが出来、全てを受け止めてくださる神様の懐に飛び込み、真実の平安を受けることがきるのです。神様のみ手の中で、日々を平安に生きて行きたいですね。


by minitayori | 2018-05-26 21:32 | Trackback | Comments(0)

オリエンタルポピー


オリエンタルポピー
いつものようにアパートの自動販売機の裏の駐車場の中に、
ポピーの群れが咲き始めた。
砂利の下の土からわずかな水を得ているのだろう。
生命力の強さに感激!

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by minitayori | 2018-05-26 21:24 | Trackback | Comments(0)

5月13日の池袋教会聖壇

5月13日の池袋教会聖壇
ミニタヨリお休みします。キリエ展示会のために
わが部屋はてんやわんやです。

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by minitayori | 2018-05-19 22:55 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 5月20日 ヨハネ福音書15章26-16章4節

520日 聖霊降臨祭 ヨハネによる福音書1526164

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15:26 わたしが父のもとからあなたがたに遣わそうとしている弁護者、すなわち、父のもとから出る真理の霊が来るとき、その方がわたしについて証しをなさるはずである。15:27 あなたがたも、初めからわたしと一緒にいたのだから、証しをするのである。

16:1 これらのことを話したのは、あなたがたをつまずかせないためである。 16:2 人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。

16:3 彼らがこういうことをするのは、父をもわたしをも知らないからである。 16:4 しかし、これらのことを話したのは、その時が来たときに、わたしが語ったということをあなたがたに思い出させるためである。」

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「礼拝に備えて」

 次週の日曜日は聖霊降臨祭、イエス様の復活から50日目、ペンテコステとも言う。教会の始まった日、誕生日とも言う。今日の日課の使徒書ではその時の様子が詳しく記されている。弟子達に聖霊が下り、彼らは大胆に群衆の前に立ち、彼らの分かる言葉で神様の救いのみ業を語ったと記されている。

 教会の誕生は、聖霊の力をいただいた弟子たちが勇気を持って、当時の人々(イエス様を十字架につけよと叫んだ人々の前に立って、)イエス様の十字架こそ神様のみ業そのものであり、あなた方の救いであると明確に語った。それを聞いた神殿に集まっていた地方から集まっていた人々は、弟子たちの情けない姿を知っていたが、勇気を持って語る姿に驚き、また自分達に分かる言葉で福音が語られたことに驚いた、と記されている。

何年か前に初めて教会に来た若者に聞いたことがある。「いかがでしたか?神様の愛を受けることが出来ましたか。」その若者は首を横に振って、それっきり教会に来なくなった。私は自分を責めて苦しんだ。教会に人が来るのは、讃美歌やオルガンを聞くためでも、会堂の雰囲気に感動するためでもない。

自分の分かる言葉で「神様のみ業を聞く」為である。私はそのことを牧師の唯一の使命だと考えてきた。キリスト教用語のない耳の不自由な人に、初めて来た人に分かる言葉で、理解出来るように語るために、日曜日の夜遅くまで、原稿を見直し、分かりにくい言葉に手話の表現はこうすると、赤ペンで書きこんで礼拝に備えた。

でもそれは人間の知恵では出来ないことを早くに知った。み言を理解するためには神様の霊をいただかなければならないと知った。しかし、聖霊を与えてください、とお願いしても見える形ではいただけなかった。しかし、祈るうちに、洗礼を受けた当時から暗記していた聖書のみ言葉が、ふと心に浮かんで難解なみ言葉に示される神様のみ心に触れることが出来た。

神様の御心、そして、それを伝えたいと考えられる神様のお顔が思い浮かんできた。お顔と言うよりも『眼差し』と言う方が正しいと思う。自分で作ったキリエのイエス様の横顔、とその眼差し。説教前には、「わたしが共にいる。安心して行きなさい。」と言うお声を聞き、礼拝が始まると、アメリカの職人から、私が作った十字架、あなたのために祈っている、と言う言葉と共にいただいた十字架かを握りしめて「主よあなたが語ってください。」と祈りつつ待つ。

説教壇に立つときにはストールが共にくびきを負ってくださるイエス様の存在を身近に示してくださった。共にいてくださるイエス様が語ってくださるそう信じて、畏れ多くも聖壇に立ち続けた。引退をするとき。赤い字で埋められた原稿ノートは、感謝しつつ廃棄してきた。今思うと、神様の導きのしるし。大切に取っておきたかった。今なら写真にとればよかったと思うが、一回一回神様の恵みを十分にいただいた感謝を心に持っている事で十分と思うようになった。生きている限り、神様に御用が与えられる限り、昔の気持ちを忘れれないでいたいと思う。


by minitayori | 2018-05-19 22:50 | Trackback | Comments(0)

5月6日の池袋教会の聖壇の花。

5月6日の池袋教会の聖壇の花。
名前を聞いてメモしたのですが、字が読めなくなっていました。
この字で手紙をもらった人は迷惑だろうな

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by minitayori | 2018-05-12 23:08 | Trackback | Comments(0)

「みにたより369」

「みにたより369」
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 ほっとする間もなく、神様は新しい仕事を用意してくださった。荷物の中に埋もれている「キリエ」をもう一度見てもらいたいと思っていたが、池袋教会の婦人会が婦人会の年間の仕事の一つとして、キリエ展示会を開催したいと申し出てくださった。しかし、考えてみたら目ぼしいものはみな寄贈してきてしまった。

 この小さなアパートの中では見てもらえるような大作を作る余裕も体力もない。先日の婦人会の担当者会でその話をしたら、ある物でいいからと言ってくださった。外国にあるものや遠方に寄贈したものは借り出すこともできないし、今在るもので!と言う言葉に甘えさせてもらうことにした。

 それでも、一点でも二点でも、展示会に来てくださる方々に新しいものを見て欲しいと願っている。但しできれば・・。でも弟子たちはいつでも命がけでイエス様の弟子であり続けた。どんなに失敗しても涙しつつイエス様のみもとに帰り、許されてまた証人として歩み続けた。強くあれとは言わない。弱くても主と共に、自分に示された仕事を喜びを持って雄々しく担って歩み出したい。
 *ブログ続けられる間は続けます。

 

 

 


by minitayori | 2018-05-12 23:04 | Trackback | Comments(0)

シャクヤク

シャクヤク
聖壇に飾れた花を写してきた。最近家の近くでも花が目立つ
ようになったが、今年は散るのも早い。花の命は短くて・・。
それでも野に咲く花は特別に美しく感じる。
厳しい環境で一生懸命だからか。


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by minitayori | 2018-05-12 22:50 | Trackback | Comments(0)