「礼拝に備えて」8月19日 マルコ6章30-40 

819日 6章30-40 ◆五千人に食べ物を与える
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6:30 さて、使徒たちはイエスのところろに集まって来て、自分たちが行ったことや教えたことをがら報告した。

6:31 イエスは、「さあ、あなたがただけで人里離れた所へ行って、しばらく休むがよい」と言われた。出入りする人が多くて、食事をする暇もなかったからである。
6:32 そこで、一同は舟に乗って、自分たちだけで人里離れた所へ行った。

6:33 ところが、多くの人々は彼らが出かけて行くのを見て、それと気づき、すべての町からそこへ一斉に駆けつけ、彼らより先に着いた。
6:34 イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」 これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。 イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」そこで、イエスは弟子たちに、皆を組に分けて、青草の上に座らせるようにお命じになった。人々は、百人、五十人ずつまとまって腰を下ろした。
6:41 イエスは五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて、弟子たちに渡しては配らせ、二匹の魚も皆に分配された。すべての人が食べて満腹した。
そして、パンの屑と魚の残りを集めると、十二の籠にいっぱいになった。 パンを食べた人は男が五千人であった。
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「礼拝に備えて」
 聖書の中には、いろいろな出来事の中にイエス様のお心、神様のお心が宝石のように輝いている。それは人間の心の汚れを示すと同時に、そのけがれを清めて行くイエス様の深い愛のお心が示されている。

 イエス様様は大勢の群衆を見て何を思われたか。「イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。」と記されている。しかし、弟子たちはそうとは思わなかった。飢え、疲れている500人もの人々を食事も与えずに、それぞれの故郷に帰そうと言っている。

 旅する人は、そのための準備は当然の常識。勿論多くは持っていなかったであろうことは想像できる。ここで5000人の人々は自分のことしか考えていなかった。イエス様は深く憐れまれて、疲れもいとわず、人々に教え、病を癒された。ここが弟子たちやイエス様様との違いだった。

 他の聖書を見ると一人の幼子が、5つのパンと2匹の魚をイエス様の所に持って行ったと記されている。この子供に取ってはあれらの多くも彼の命綱とも言えるささやかな食料であったろう。群衆を憐れまれるイエス様のお心を感じとったのはの少年であった。

 一人の少年の姿が5000人の人に伝わったらどうだろう。彼らも自分達の食べ物と少しの予備のものを持っていてそれを差し出したとしたら、5000

人の人々がお腹を満たして余りあることとなっても不思議はない。イエス様の奇跡は少しのパンと魚を5000人の人に増やして与えたことだけではない。自己中心の人々の心を変えて、神様の心に従い、人々を愛する心に変えたことではなかったであろうか。

 その意味では、奇跡は今でもわたしたちの住んでいるこの地球上で起こるべきことのなのかもしれない。先日迷子になった少年を救うために、70歳を超える方、車で来て助け出した、というニュースを見た。年金だけで生活しながら、ボランティアのために備えている。小さな車に自分のための食料と寝る場所を用意して、文字通りボランティアをしている。

 12日の休養を取ってまた広島の災害に合っている人の土書きに出かけている。私も何か人のために役立つことのできる日々を送りたいと改めて思った。イエス様のみ足の後を従って生きて行きたい。

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by minitayori | 2018-08-18 23:19 | Trackback | Comments(0)

「みにたより」

「みにたより」

 しばらくパソコンから離れていたら、win7のソフトが使えなくなっているのを知った。このブログも3回目でやっと仕えるようになったWin7のソフトで書いているが、このソフトは危険です、と注意が出てくる。おまけに、プリンターがインクが乾いてしまったのか、印刷できなくなっている。今格闘しているが機械に関してはからきしだめな私には、お手上げだ。前回の時はポスターを作るためにA3の紙に印刷できるプリンターを買ったのっだが、引退して引っ越し荷物の中に積み込んできたら、調子が悪くなってダウンしてしまった。

 先週はパソコンに向かったのですが、わずかな時間でめまいがして来てブログを断念しました。これも私の人生の一こま。かつてない経験だが、悲しまないで楽しんでこの時を大切に過ごして行きたい。いずれ誰もが通る道。老いの坂は登り坂、神様の国への登竜門。苦労があって当然かもしれません。でも、もう少し神様の働きをしていたいと願っている。
 *先週はパソコンが動かなくなり、四苦八苦。またパスワードを変えたばかりでそのメモがわからず、途中で断念してしまった。動かなくなったのは私の頭だったかもしれない。


by minitayori | 2018-08-07 14:51 | Trackback | Comments(0)

昼咲き月見草

昼咲き月見草
火星を見ようとして何度か外に出て、空を見上げていたが
残念ながら、うす曇りでその時機を逸してしまった。次の朝
近くの空き地の周りを散歩していたら、珍しい花に出会った。
昼咲き月見草という名前だった。昨夜の自分を思い出して、
思わず苦笑してしまった


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by minitayori | 2018-08-07 14:44 | Trackback | Comments(0)

8月5日 平和の主日 ヨハネによる福音書15章9-12節

85日 平和の主日 ヨハネによる福音書159-12

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15:9 父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛してきた。わたしの愛にとどまりなさい。:10 わたしが父の掟を守り、その愛にとどまっているように、あなたがたも、わたしの掟を守るなら、わたしの愛にとどまっていることになる。

15:11 これらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたの内にあり、あなたがたの喜びが満たされるためである。:12 わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。

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「礼拝に備えて」

 イエス様の愛された弟子ヨハネは、晩年捕らえられてパトモス島に幽閉され、解放された後も00歳近くまで伝道者としての生涯を全うされた、と聞く。

足腰が弱くなり、信徒に両脇を抱えられて説教壇に立ち伝道者として説教された。説教の内容は繰り返し「イエス様の愛の内にとどまりなさい。互いに愛し合いなさい。」と言う事だったと言われている。

 この言葉の中にはイエス様の教えが凝縮されているし、教会の語るべき子の世界に向かっての最も大切な神様のみ心が含まれている。教会は神の教えに立ち、生かされ、希望を持って生きてきた 。私も現在79歳、間もなく80歳になろうとしている。父は64歳で召された、その父を超えることを先ずの目標にしてきた。前後に大病をしたが、難病と言うお土産付きで引退した。

 引退して東京に出てきたが、次々と病気が出てきて辛い思いもしたが生きているのは時間が与えられている事、その時間は神様を愛し人を愛するために用いるようにと神様は願っておられる。

 イエス様もそのように願っておられると今日の聖書に記される。この神様のお心を生かした日々でありたいと願っている。


by minitayori | 2018-08-07 14:35 | Trackback | Comments(0)

空き地の雑草の中の花

空き地の雑草の中の花
この暑さの中で、取り壊された空き地にだけが雑草が生い
茂っている。今日は今までにない花を見つけた。前の家主
が植えた花ではない。この花はどこから来たのだろう。
でもこの暑さの中よく咲いた。
花は一生懸命咲いているから、美しいといつも思う。
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by minitayori | 2018-08-04 23:16 | Trackback | Comments(0)