礼拝に備えて 顕現主日 マタイによる福音書2章1-12節

17日 顕現主日 マタイによる福音書2章1-12節

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◆占星術の学者たちが訪れる

2:1 イエスは、ヘロデ王の時代にユダヤのベツレヘムでお生まれになった。そのとき、占星術の学者たちが東の方からエルサレムに来て、

2:2 言った。「ユダヤ人の王としてお生まれになった方は、どこにおられますか。わたしたちは東方でその方の星を見たので、拝みに来たのです。」

2:3 これを聞いて、ヘロデ王は不安を抱いた。エルサレムの人々も皆、同様であった。

2:4 王は民の祭司長たちや律法学者たちを皆集めて、メシアはどこに生まれることになっているのかと問いただした。

2:5 彼らは言った。「ユダヤのベツレヘムです。預言者がこう書いています。 2:6 『ユダの地、ベツレヘムよ、/お前はユダの指導者たちの中で/決していちばん小さいものではない。お前から指導者が現れ、/わたしの民イスラエルの牧者となるからである。』」

2:7 そこで、ヘロデは占星術の学者たちをひそかに呼び寄せ、星の現れた時期を確かめた。 2:8 そして、「行って、その子のことを詳しく調べ、見つかったら知らせてくれ。わたしも行って拝もう」と言ってベツレヘムへ送り出した。

2:9 彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、ついに幼子のいる場所の上に止まった。

2:10 学者たちはその星を見て喜びにあふれた。

2:11 家に入ってみると、幼子は母マリアと共におられた。彼らはひれ伏して幼子を拝み、宝の箱を開けて、黄金、乳香、没薬を贈り物として献げた。

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「礼拝に備えて」


 東の国から来た博士たちは、「ユダヤ人の王」の誕生を祝うためにはるばる旅をした。ナビも何もない時代に、救い主に捧げる宝物を持っての旅はどんなに危険を伴い、心細いものでさったろうか。

 しかし、彼らの心には主が共に居まして導いてくださると言う強い信仰と言おうか、委ねる信仰があったのだ。彼らは高価な贈り物を持って旅を続けた。きっと恐れもあったであろう。不安もあったであろう。しかし、それ以上に大きな希望もあったと思う。それに、星のまたたきの中に神のみ声を聞く心もつことが出来たのではないだろうか。「わたしが共にいるから恐れることはない」と言うお声が。

 彼らはユダヤではなく外国に住んでいた人々だった。しかしユダヤ人の王が生まれになると信じて、旅立った。彼らは捕虜うとして連れて行かれ、異教の国で、迫害を受けつつ信仰を保ち続け、聖書のみ教えに従って神様が必ず助けてくださると信じて生きていた。だからこそ、星のまたたきの中に神様の招きのお声を聞き取ることが出来たのではないか。

 苦しみは、弱さを知ることは、神様の小さなお声を聞くチャンスなのかもしれない。時々私はその様に思い、健康的に弱くなっておく自分が神様の恵みの中にいることを感じられるように思うこの頃です。

さてヘロデ王は、聖書に聞く心、最初は学者に聞く心はありましたが、そのお心を受け止めることができませんでした。神様にしながうよりも自分の地位や欲望の中に生きていたいと思ったのです。

 一年の初め改めて思う事は、この身はますます弱くなるが、一生神様のみそばに生きることを願い、神様に身をゆだねて行きたいと思う。救い主に自分のすべてをゆだねて生きる道を選び続けて行きたい。






# by minitayori | 2018-01-06 21:38 | Trackback | Comments(0)

キリエ 聖家族

聖家族
キリエ 小嶋

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# by minitayori | 2017-12-22 23:15 | Trackback | Comments(0)

「みにたより332」

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「みにたより332」

 今年は緑内障にかかって視力が衰えてきたので、クリスマスのキリエ作るのをやめようかと思っていた。しかし、どうしても描きたい事が心に浮かんできたので19月の半ばから構想を練り、下絵を何度もかき直してとりあえず下絵を完成した。

 しかしいろいろと家の事情もあり、ナイフを入れることが出来ず、11月半ばになって慌てて切り始めた。どうしても描きたかったのは、マリアさんとヨセフさんのお二人がイエス様を見つめているまなざし、その眼に浮かぶ涙を描きたいと思った。

 8月に、我が家にも3人目の孫が与えられ、母親である次女が勤めていることから出来るだけの援助をすることにした。大変だが幼子の笑顔に励まされている。しかし、クリスマスの聖画を用意し始めて、ヨセフさんとマリアさんの思いに心が向いて行った。

 愛おしい幼子が「諸々の民を救うために命を捧げる。」その様に天使に告げられます。どんな思いでこの言葉を二人は聞いたのであろうか。幼子を見守る若いヨセフとマリアの目には喜びと共に、悲しみと愛おしさの涙が浮かんでいたのではないか。
 今年のキリエは私の最後の作品になるかもしれない。だからこそヨセフとマリアの苦しくも悲しい思いを心に留めて作品に仕上げたかったのです。しかし、

 肉体の衰えは残酷です。思いのすべてを表現できなかった。だが、その思いだけは込めて、何度も切り間違えたり、思い通りに行かない辛さをかみしめながら完成させた。


# by minitayori | 2017-12-22 23:08 | Trackback | Comments(0)

バラ

バラ
ごみ箱の横にひっそりと咲いていた。花そのものは見事な花で
ひっそりということがあてはまらないが、こんなところにも
文句を言わないで咲いている美しい花を見つけられたことが
うれしかった。私は神様が置いて下さったところで精一杯
咲く。それが私に与えられた御心だから、と花の声。


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# by minitayori | 2017-12-22 23:02 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 12月24日 ルカ福音書1章67~79節

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◆ザカリアの預言

1:67 父ザカリアは聖霊に満たされ、こう預言した。

1:68 「ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。主はその民を訪れて解放し:69 我らのために救いの角を、/僕ダビデの家から起こされた。

1:70 昔から聖なる預言者たちの口を通して/語られたとおりに。

1:71 それは、我らの敵、/すべて我らを憎む者の手からの救い。

1:72 主は我らの先祖を憐れみ、/その聖なる契約を覚えていてくださる。

1:73 これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。こうして我らは、 敵の手から救われ、/恐れなく主に仕える、生涯、主の御前に清く正しく。

1:76 幼子よ、お前はいと高き方の預言者と呼ばれる。主に先立って行き、その道を整え、 主の民に罪の赦しによる救いを/知らせるからである。

1:78 これは我らの神の憐れみの心による。この憐れみによって、/高い所からあけぼのの光が我らを訪れ、暗闇と死の陰に座している者たちを照らし、/我らの歩みを平和の道に導く。」幼子は身も心も健やかに育ち、イスラエルの人々の前に現れるまで荒れ野にいた。


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 「礼拝に備えて」e0191585_22355596.gif



 今週はクリスマス・イブ。イエス様降誕の前夜祭になる。一般にはこの日をクリスマスとして礼拝する教会がい多くなっている。クリスマスはイエス様がかつて来られたことを祝う日、誕生日であり、もう一つやがてイエス様がよの裁き主としてくる時がる事を覚え得る日でもある。そのために一人でも多くの人が救われうように、教会は一年の間祈りつつ働きをしてきた。


 私は24日を最後の伝道の日として守って来た。明日イエス様が来られる前にイエス様を信じて欲しい。「今は恵みの時、救いの日である。」からだ。だから。24日の礼拝が盛大に行われることを否定するつもりはない。なぜなら、一人でも多くの人に今越す救いの日恵みの日であることを伝える大切なラストチャンスの日だと思ったからだ。


 熊本にあるルーテル教会の高校では、ハンドベルを通して、クリスマスの到来を市内の多くの場所で演奏をしてきた。私が最後の任地となった熊本教会では、その高校生ハンドベルの最後の演奏の場として24日を特別の礼拝としてきた。礼拝前に夕食を用意し礼拝に備えてきた。


 ある24日の礼拝では200人を超す方々が集まってくださり、二階の床が落ちるのではないかと心配するほどだった。懐かしい思い出だった。事はどうしているだろうか。若い人々がハンドベルで証をし、人々の心をイエス様来臨への備えをしてほしいと願っている。毎年この日のためにクリスマスのキリエを作ってプレゼントをしてきた。クリスマスの日飾ってイエス様の降誕を思いだしてほしいと思ったから。


 今日の日課では、イエス様の先駆者であり、その勤めを全うした洗礼者ヨハネの事が記されている。洗礼者ヨハネは当時のヘロデ王の悪行を責めたために、首を切られて死んだ。彼は、獄中で死を待つ間、弟子をイエス様の所に遣わして「あなたは来るべき救い主ですか。:と訪ねさせた。


 イエス様の答えは、「私の身の周りを見なさい。不治の病と言われていた人や罪人、社会で孤立していた障害者の人々が集まって、神様を賛美している。これこそ救い主がいるしるしである。」と言われた。教会とは健康な人だけの集まる社交場ではない。助けを必要としている全ての人が集まり、イエス様の救いを受け入れて感謝の賛美を歌える場所でなければならない。その様な教会であってほしいと願いつつ、今までも、今も過ごしている。







# by minitayori | 2017-12-22 22:52 | Trackback | Comments(0)

山茶花

山茶花
今咲いている花は、身近ではサザンカが大部分です。もう少し散歩の距離を広げるとよいのですが、キリエ、孫守りと時間が取れなくて良い
写真が届けられません。
でも花はそれぞれにきれいですね。

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# by minitayori | 2017-12-22 22:40 | Trackback | Comments(0)

秋の名月

秋の名月
久しぶりに美しい月を写真に撮ろうと表に出た。
当日は雪雲がかかってうまくと写せなかった。
寒くて震えていたのかもしれない。昨日も流星群が
見えるというので夜空を見上げていたが、寒さに負けた。

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# by minitayori | 2017-12-16 22:59 | Trackback | Comments(0)

「みにたより331」



「みにたより331」

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 デパートも遊園地も公園も、普通のお宅の玄関までクリスマスのイルミネーションが飾られている。イエス様の居ないクリスマス・・寂しい事です。クリスマスの前にデパートでは歳末大売り出しの看板に代わってしまう。クリスマスは、キリスト+ミサ(礼拝)が本当の意味。デパートのクリスマスの看板を正しく書けば、「救い主+礼拝、大売り出し。」面白い看板になりますね。

 昔教会学校ではクリスマス伝道集会を行った。祝会のカレーライスは100人分作ったが、子供たちの食欲には、いつも足りない。生徒の保護者も手伝いに来てくれた。てんやわんやの大騒ぎだった。

 あるときこんなお話をした。クリスマスは何? 生徒はイエス様の誕生日と即答した。クリスマスにはプレゼントを貰うよね!でもイエス様のお誕生日なら、イエス様がプレゼントを貰うのが当たり前だよね。子どたちはびっくりしていたが、その後、プレゼンとを貰ったかどうかは聞かなかった。
 しかし、子供たちにクリスマスの日、イエス様が来られた時家畜小屋なら空いています。ではなくて、私の心に来てください、と言うおはなしで締めくくった。その日の最後の讃美歌は、「もろびてこぞりて」だった。手話でするようにと教えた。主=右手の親指、が上から来られる。自分の心の前に左手を開いて用意し、そこの来てくださるように、と祈りながら歌うようにと教えた。

 子供たちは真剣な顔で手話をしていた。最後に左手のひらに来てくださったイエス様をしっかりつかんでいるんだよと教えた。子供たちの輝いて歌う顔が印象的だった。その中から、何人かが洗礼を受け、今も心の中にイエス様をしっかりと持ち続けている事を聞いて、喜びを感じている。あなたの所にも「主はきませり!」




# by minitayori | 2017-12-16 22:53 | Trackback | Comments(0)

裏の渋柿の木と小鳥

裏の渋柿の木と小鳥
このあたりのボスの小鳥。鋭い声で威嚇しながら飛び交う。
渋柿が熟したか、一羽で占領して食べていた。
数日してほとんどなくなった木に、
小さなメジロや雀がやってきた。
かたい皮に穴をあけて小さな小鳥のために
残しておいたのだろうか

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# by minitayori | 2017-12-16 22:47 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 12月17日 ヨハネ福音書1章19―28節



1217日 待降節第3主日 ヨハネによる福音書119―28節

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1:16 イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。:17 イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。 1:18 二人はすぐに網を捨てて従った。1:19 また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのを御覧になると、:20 すぐに彼らをお呼びになった。この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後について行った。:21 一行はカファルナウムに着いた。イエスは、安息日に会堂に入って教え始められた。22 人々はその教えに非常に驚いた。律法学者のようにではなく、権威ある者としてお教えになったからである。
のとき、この会堂に汚れた霊に取りつかれた男がいて叫んだ。

「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ。イエスが、「黙れ。この人から出て行け」とお叱りになると 汚れた霊はその人にけいれんを起こさせ、大声をあげて出て行った。27 人々は皆驚いて、論じ合った。「これはいったいどういうことなのだ。権威ある新しい教えだ。この人が汚れた霊に命じると、その言うこ

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「礼拝に備えて」

イエス様はご自身の十字架の時が迫っている事を知り、神様の福音を伝えるためにご自身の弟子を選ばれました。イエス様は選ばれるにあたって、弟子の使命を語っておられる。

リラヤ湖で漁師をしていたペトロと兄弟アンデレに対して、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われました。イエス様は特別な人ではなく弟子を、その働きの場で招かれました。」彼らは3年の間、イエス様と行動する時に、イエス様の教えを特別な神学ではなく、自分の生活の中に染みついた経験の中で受け止めて行ったのではないだろうか。

 私が神学校に入学を赦された時、ペンキ職人や学校の先生、アルバイトで生活をしていた人、鮨屋の職人もいた。私は表具師を6年学んでいて、間もなくのれん分けをしてもらえる所で、献身を決意し、父親の期待を裏切ってしまったので感動を受けた。当時のクリスチャンの中には勘当されてクリスチャンになり、聖書学院に入り、伝道師になった方も多くいた。

 漁師は魚を取って生計を立てていた。網元に当日の収穫を報告していた人もいたかもしれない。いかに魚をとることが出来るかを工夫し、考えて漁に出たことだろう。イエス様の弟子の仕事も同じような経験を生かして働いたことだろう。

 友人のペンキ職人だった人は、ひとのこころを神様の愛色にりたいと語っていたし、私も古いふすま紙を、新しく変えて喜んでもらえるようになりたいと思ったものです。イエス様に選ばれた弟子たちは多彩な仕事をしていた。人に嫌われるような仕事をしていた人もいた。だからこそ、主に従って人に喜んでもらえるような働きをすることを願ったのだろう。

 苦しむ人に寄り添い、神様の愛を伝え、悲しむ人に神様の愛と喜びを与える人となることを願って、失敗をしながらもイエス様に従い続ける、そんなイエス様の弟子であり続けたいと思います。あなたにも今生きている場所で「わたしの弟子となりなさい。」「愛を与える人になりなさい。」と呼びかけておられます。今その場所でイエス様の弟子となり、今居る場所で神様の愛を伝える者となりましょう。











# by minitayori | 2017-12-16 22:37 | Trackback | Comments(0)

寒風の中のひまわり

ひまわり
寒風の吹きぬける川越街道の歩道のわずかな土に
ひまわりがしていた。寒い朝だった。耳が痛い
ような朝だった。皆を励ましているのだろうか。

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# by minitayori | 2017-12-16 22:15 | Trackback | Comments(0)

山茶花

山茶花
咲ききった花は間もなく散るのだろうが、後ろにつぼみが
今咲こうとしている。何事か教えているように見えた。

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# by minitayori | 2017-12-09 23:04 | Trackback | Comments(0)

「みにたより331」


「みにたより331」


 もう何年前になるか、忘れるほど昔の話だが、飯田にいる時にフインランド宣教90周年記念にあわせて、信州に伝道師に来てくださった方々の墓参を兼ねた感謝の旅をした。5月であったと思うが、ドイツで二泊し、ルターのゆかりの地や宗教改革の発端になった城教会にも行って来た。



 ルターが宗教教育を受けたアウグスブルグ修道院では、礼拝堂で先の見学者が終わるまでの少しの時間を静かに過ごした。ルターが献身した時にうつぶせになって涙を流した場所に、同じように横になってみた。冷たかった。その聖壇の脇に石のいすがあった。ルターが最初に説教した後で、自分のようなものが説教してよいのかと苦しんで涙を流し、祈っていたと言ういすにしばし座って、自分にもその様な謙遜な気持ちがあるのか、しばし反省の時を持った。


 修道院の会堂で、みんなで「神はわがやぐら」の歌を歌ってきた。今年カトリックとの合同の礼拝が行われ、教会でも何人もの方が参加し、先週の日曜日思いで話しが弾んでいた。それを聞きながら、私も昔の旅をお思い出していた。あの頃の写真はどこに行ってしまったのだろう・・・。フィンランドについてはまたの機会にお知らせします。老いて外出も思いのままにならぬ今、思い出の中に楽しみを見出しています。静かな旅です。
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 ビッテンベルグの城教会の
一室にありました。
ルターはこの部屋で聖書を誰にでもわかるやさしいドイツ語に訳した。この隣の石の部屋に潜んでいたといわれます。


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# by minitayori | 2017-12-09 22:52 | Trackback | Comments(0)

公園の紅葉

公園の紅葉
花を探しに散歩に出たが、今回は紅葉が目立った。
イチョウの葉はすっかり落ちてしまい、みんなで
落ち葉の掃除をしていた。イチョウの葉は車にひかれ
ると道路にくっついて取れなくなる。この木の落ち葉は
風に吹かれてどこまで行くのだろう。


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# by minitayori | 2017-12-09 22:37 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 12月10日 待誕節第2主日 マルコ福音書1章1-8節

1210日 待誕節第2主日 マルコによる福音書11-8

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1:1 神の子イエス・キリストの福音の初め。

1:2 預言者イザヤの書にこう書いてある。「見よ、わたしはあなたより先に使者を遣わし、/あなたの道を準備させよう。:3 荒れ野で叫ぶ者の声がする。『主の道を整え、/その道筋をまっすぐにせよ。』」そのとおり、:4 洗礼者ヨハネが荒れ野に現れて、罪の赦しを得させるために悔い改めの洗礼を宣べ伝えた。

1:5 ユダヤの全地方とエルサレムの住民は皆、ヨハネのもとに来て、罪を告白し、ヨルダン川で彼から洗礼を受けた。

1:6 ヨハネはらくだの毛衣を着、腰に革の帯を締め、いなごと野蜜を食べていた。

1:7 彼はこう宣べ伝えた。「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。:8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」

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「礼拝に備えて」

 洗礼者ヨハネを思う時、いつも自らも謙遜でなければならないと思ったものだ。ヨハネはイエス様の従兄弟であり、イエス様も認める偉大な預言者であり、救い主の到来かと思われるほどに民衆の心をつかんでいた方だった。そのヨハネが「わたしよりも優れた方が、後から来られる。わたしは、かがんでその方の履物のひもを解く値打ちもない。:8 わたしは水であなたたちに洗礼を授けたが、その方は聖霊で洗礼をお授けになる。」とイエス様について紹介している。


 私に洗礼を授けてくださった宣教師は、つたない日本語でイエス様のことを一生懸命伝えてくれた。当時高校生であった私達何人かの出席者は、礼拝後、よく一緒に集まって、理解しがたかった日本語のお話について話し合い、宣教師の態度、表情全体から迫ってくるイエス様の愛とお姿について話し合い、説教と聖書と説教者からイエス様に出会う事の大切さを学んできた。


 自分が牧師になって、よい説教はできなくても、会衆や教会堂や交わりの中にいるイエス様がこの人に出会ってくれるようにと願った。牧師は教会とその群れをゆだねられているが、全ての主であり羊飼いはイエス様であり、集う一人一人が教会のすべてを通してイエス様に出会えるように、と祈りつつ日々を過ごしてきた。 洗礼者ヨハネも、自らの務めを正しく理解し、先駆者であり続け、自らは一預言者のままで、ヘロデ王の愚かさのゆえに、首を切られて死んだ。それが彼に与えられた使命だった。かなしい生涯であってっも、神のみ心に沿って歩みなら、それは幸いな道。与えられた日々を、み旨に沿って生き、感謝で終わりたいものです。

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# by minitayori | 2017-12-09 22:29 | Trackback | Comments(0)

近くの公園の紅葉

近くの公園の紅葉
いつも行く公園の紅葉が美しかった。この日は快晴だったので
特に美しく見えた。あと数日は残らないだろうが、精いっぱい
美しく生きている。えらいなー

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# by minitayori | 2017-12-09 22:15 | Trackback | Comments(0)

11月26日 池袋教会聖壇の花





11月26日 池袋教会聖壇の花
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# by minitayori | 2017-12-02 20:50 | Trackback | Comments(0)

ルターの紋章

「きよせたより330」

  ルターの紋章
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ヴィッテンベルグにあるルターの記念館の「カテリーナの入り口」にルターの浮き彫りがかかっている。その浮き彫りの中には「穏やかにして信頼しているならば、力を得る」という銘が刻まれている。

その反対側に、石で刻まれたルターの紋章がある。その銘刻にはVIVIT=主は生きたもう」と言うキリスト信仰の一貫した確信が記されている。ルターは自分の紋章について「私の神学の記章」と言っているが、彼自身が書いた以下の文章は、宗教改革の全教理の要約として役立つことが出来た。

  

「ルターが友人に送った葉書に書かれている文」

 「第一に、自然な色のハートの中に黒い十字架があるが、われらを救い給う十字架の主を信ずる信仰を思い起こさせるものである。なぜなら、心から信ずるものが義とされるからである。それは黒い十字架、肉を殺し、苦痛を与えずにはおかないものであるが、ハートの色を自然に残しているし、我らの人間性を破壊するものではない。つまり、その十字架は生命を殺すものではなく、かえって保つのである。なぜなら、『義人は信仰によって生きる』からだ。しかし、『十字架につけられた主を信じる信仰によって』である。このハートは白いバラの花の真ん中にはめ込まれている。これは信仰が、喜びと慰めと平安をもたらすものであることを示す。要するに、信仰はわれらを愉快なバラの野に運び込む。その平安と喜びはこの世の平安や喜びとは違うので、バラは白であって赤ではない。白は霊とすべての天使たちを表す色であるからだ。

 バラのおかれている背景は空色である。それは、魂と信仰のその様な喜びが、来るべき天の喜びの始めであり、その喜びは、事実もうすでに今のわれらの喜びの中にすでに現在し、信仰によって受けることができ、しかしながら、いまだあらわになっていないことを示すものである。*このルターの紋章に用いられたバラは、またクリスマスを表すシンボルでもある。救い主の予言を表している。そしてこの白いバラはクリスマスに咲くと言われている。クリスマスの只中に、十字架を思うルターの信仰を、私たちも学びたいものです。 (参考資料絵画によるルターより)


# by minitayori | 2017-12-02 20:40 | Trackback | Comments(0)

近くの生垣の紅葉

近くの生垣の紅葉
木にあるときは木に連なり、
風に吹かれ落ちれば大地にゆだねる。
いつも今が一番美しいのでしょうね。

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# by minitayori | 2017-12-02 20:32 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 12月3日 マルコによる福音書11章1-11節



123日 降臨節第1主日マルコによる福音書111-11

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11:1 一行がエルサレムに近づいて、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアにさしかかったとき、イエスは二人の弟子を使いに出そうとして、11:2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだだれも乗ったことのない子ろばのつないであるのが見つかる。それをほどいて、連れて来なさい。:3 もし、だれかが、『なぜ、そんなことをするのか』といったら、『主がお入り用なのです。すぐここにお返しになります』と言いなさい。」 11:4 二人は、出かけて行くと、表通りの戸口に子ろばのつないであるのを見つけたので、それをほどいた:5 すると、そこに居合わせたある人々が、「その子ろばをほどいてどうするのか」と言った。:6 二人が、イエスの言われたとおり話すと、許してくれた。:7 二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。:8 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。:9 そして、前を行く者も後に従う者も叫んだ。「ホサナ。主の名によって来られる方に、/祝福があるように。:10 我らの父ダビデの来るべき国に、/祝福があるように。いと高きところにホサナ。」:11 こうして、イエスはエルサレムに着いて、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回った後、もはや夕方になったので、十二人を連れてベタニアへ出て行かれた。

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「礼拝に備えて」 イエス様とはどのようなお方なのだろうか?マルコはその福音書の中でイエス様をどのような方として描こうとしているのだろうか?私はいつも聖書を読む時に、聖書の言葉を通してイエス様のお姿とみ心を聞き、読み取ろうと努力している。多分切り絵を作る時の習性かもしれないが。

 この時、イエス様はどんな眼差しをしておられただろうか。その眼差しでイエス様のお心が分かるようにと考える。しかし、今までの作品で、そのお心が表せたものはほんのわずかにすぎない。でもその様なものが完成すると、絵を見てくれる人にイエス様のお心が伝わる、と思って努力してきた。
 今は体力も、視力も衰えてきてなかなか作成に取り掛かれないが、あと何点かは作成したい作品がある。さて今日のエルサレム入城のイエス様のマルコの描写の中に、私はいくつかのメッセージが示されているように感じます。
 群衆は強い王、自分達を解放してくれる王の到来を待っていた群衆は、借り物の子ロバに乗ってよろよろと入城されるイエス様のお姿に戸惑いを感じたであろう。しかしロバは平和の象徴だった。イエス様は力ではなく愛による平和な国の到来を、このお姿を通して示していた。
 さらに子ろばの背に乗ったイエス様は、丁度群衆と同じ目線で群衆を見ておられた。私はここにも心惹かれる。群衆と同じ目線でその苦しみや悲しみを見つめてくださるイエス様のお姿に、いつも身近なイエス様を感じるのです。
 しかも、イエス様は「:8 多くの人が自分の服を道に敷き、また、ほかの人々は野原から葉の付いた枝を切って来て道に敷いた。」イエス様は群衆の汗と涙、苦しみと悲しみの染みついた上着をご自分の歩む道として選ばれたのです。その様に思う時、私はイエス様がとても身近に感じます。私と同じ目線に立って様々な悲しみや苦しみを見つめていてくださるイエス様。また苦しみや悲しみ、悩みや孤独のただ中に共に歩んでくださるイエス様のお姿を感じるのです。
 まだこの場面のキリエを作っていませんが、頭の中だけでこのイエス様のお顔、目線を感じています。多分もう作れないでしょうが、頭の中だけで描いています。







































# by minitayori | 2017-12-02 20:28 | Trackback | Comments(0)

スイセン

スイセン
飯田の教会にいたとき、園庭の雪の中からスイセンの花が
出てくると春が近いこと知り、心温かくなったのを思い出
します。東京は、いよいよ寒い冬が来ることを覚悟します。

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# by minitayori | 2017-12-02 20:07 | Trackback | Comments(0)

近くの公園の紅葉

近くの公園の紅葉
紅葉の写真を写す時は太陽光を通して写すと美しい色に写せる。
この日は少し太陽光を入れすぎてしまった。でもきれいですね

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# by minitayori | 2017-11-25 20:33 | Trackback | Comments(0)

「きよせたより329」

「きよせたより329」

3キロで生まれてきた孫が6キロを超した。私の顔を覚えているのか抱き上げるとニコ!として高い高いをしてほしいと目で催促している。答えてやりたいが、そろそろ無理になって来た。34回すると息切れがするのだ。孫もそれがわかるのか、それ以上には要求しないで、にこにこしている。老いたる爺の姿を笑顔で包んでくれる。

 「にんだもの」最近ノーベル経済学賞を受けられた外国の方がテレビに出ていた。その方の人生を変えた言葉として、「にんげんだもの!」と相田みつおさんの言葉があったと紹介されていた。私も10年ほど前にこの相田さんの個展が開かれていた宿で九州地区の牧師会が開催され、その写真と作品をゆっくりと拝見させていただいた。

 この方の経済理論は、人間だから・・こう考え失敗もするだろう。物を買う時にもその心理を読み取った日常に生かされるアイデアを考案して、会社に提案し、無駄が省かれ相当の経済効果が表れていると言う事でした。なんとなく見ていたので、詳しい事は忘れてしまったが、後で大切さに築くのも「にんげんだもの!」なのかもしれませんね。e0191585_20223115.jpg



 人間だから、病気にもなり、老いもする、忘れることも多くなる。昔を懐かしんで、老いたる自分に感傷にふけるのも「にんげんだもの!」あきらめではなくて受容して、今の自分足元を見つめつつ、

明日を明るい日と信じて生きることが必要だと、改めて思っています。

 


# by minitayori | 2017-11-25 20:29 | Trackback | Comments(0)

庭の小菊

庭の小菊
先週大きなバラに目を奪われていたが、その下に小菊が
美しい花を咲かせていた。私も忘れないで、と言われた
ようだった。ごめんね!

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# by minitayori | 2017-11-25 20:26 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 11月26日 聖霊降臨後最終主日 マタイ福音書25章31-45節




1126日 聖霊降臨後最終主日 マタイ福音書2531-45

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25:31 「人の子は、栄光に輝いて天使たちを皆従えて来るとき、その栄光の座に着く。25:32 そして、すべての国の民がその前に集められると、羊飼いが羊と山羊を分けるように、彼らをより分け、羊を右に、山羊を左に置く。:34 そこで、王は右側にいる人たちに言う。『さあ、わたしの父に祝福された人たち、天地創造の時からお前たちのために用意されている国を受け継ぎなさい。
25:35 お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、 裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』


中略


25:45 そこで、王は答える。『はっきり言っておく。この最も小さい者の一人にしなかったのは、わたしにしてくれなかったことなのである。』

25:46 こうして、この者どもは永遠の罰を受け、正しい人たちは永遠の命にあずかるのである。」


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「礼拝に備えて」

 教会の暦も、信仰の成長を意味する緑の色が終り、次週からはイエス様の苦難を表す紫に代わる。紫はイエス様の到来をイエス様がかつてなしてくださった十字架の苦難が私のためであることを感謝の内に覚えつつ、来るべき新しい時の始まりに備える時期になります。

 今日の日課でイエス様は、神様の国に入りたいと思う者は、いと小さき者への愛を行うものであると言われる。当時の宗教家たちは、見えるところでは慈善らしきものを行い、見えない所では自分の思いのままに、自身の幸せのために行動すると言う偽善が横行していた。

 イエス様は神様の国で喜ばれるものとは、人の苦しみを理解し、悲しみを共有できる人の国だと言われたのです

マザーテレサの言葉に

   親切で慎み深くありなさい

あなたに出会った人がだれでも

前よりももっと気持ちよく

明るくなって帰れるようになさい

親切があなたの表情に

まなざしに、ほほえみに

温かく声をかけることばにあらわれるように

子どもにも貧しい人にも

苦しんでいる孤独な人すべてに

いつでもよろこびにあふれた笑顔をむけなさい

世話するだけでなく

あなたの心を与えなさい。

 

私がこの言葉に出会ったのは随分昔のことですが、熊本にいた時近くのデパートで開催されたテレサの写真展があり、そこで再びこの言葉に出会ったマザーテレサの等身大の写真の中の穏やかな瞳を見ながら、この言葉を読んでいて、痛く心打たれたものである。

私の心のどこかに、疎開先で自分の家も貧しいのに、買い出しに来る子供連れの親子に親切にしていた母の面影があった。教会のあるべき姿はこの母とイエス様の教えとがどこかで結びついていたように思う。心の底でマザーテレサの言葉に共鳴できるのも、このような背景があるからかもしれない。


# by minitayori | 2017-11-25 20:21 | Trackback | Comments(0)

秋の空

秋の空
台風接近の朝の空。どんよりしたくもり空の上に青空がある。
次の日は晴天だった

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# by minitayori | 2017-11-25 20:09 | Trackback | Comments(0)

紅葉

紅葉
住宅の中の公園に紅葉がやってきた。紅葉は秋を感じさせ冬への
心構えを新たにします。明日の日曜日は真冬並みの寒さとか

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# by minitayori | 2017-11-18 18:14 | Trackback | Comments(0)

「みにたより328」

「みにたより328」
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 先週は児童祝福礼拝でお話をした。説教題に立つのは2年ぶりぐらいになるかもしれない。児童は少なく3名だったが、百歳までの非常に広範囲の年齢層でのお話。幸いにも今目が悪くなっていて説教台壇からだと、最前列にいた二人の少年しか見えない。

 この子供たちの目が輝くようなお話が出来ればと思って、目を見つめながらお話をしましたた。今語るべきことが伝えられたかな?正直無我夢中でした。久しぶりに、神学校の時の指導教授のお言葉を思い出した。説教壇に立ったら、この20分だけが最後の命と思って、神様のお心をお話しすること、と言われた。

厳しいお言葉だが、自分にとってだけではなく、礼拝に初めて来た人、会員の人にもこの時間は最後の礼拝になるかもしれないし、教会に接する最初の最後になるかもしれない、と思うとおろそかにはできない。

 でも、全身全霊を持ってみ言を伝えると言う事は、体力がないと出来ないことです。毎週説教する牧師先生の努力と疲れを思い、改めて感謝したいと思った。


# by minitayori | 2017-11-18 18:10 | Trackback | Comments(0)

山茶花の蕾

山茶花の蕾
すぐ散ってしまうサザンカだが、次に咲く花が待っていた。
頼もしいですね、元気なつぼみがあるのは。

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# by minitayori | 2017-11-18 18:05 | Trackback | Comments(0)

礼拝に備えて 11月19日 聖霊降臨後24主日 マタイ福音書25章1-13節

11月19日 礼拝に備えて 聖霊降臨後24主日 マタイ福音書251-13

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25:1 「そこで、天の国は次のようにたとえられる。十人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出て行く。 25:2 そのうちの五人は愚かで、五人は賢かった。:3 愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。:4 賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。:5 ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。 25:6 真夜中に『花婿だ。迎えに出なさい』と叫ぶ声がした。

25:7 そこで、おとめたちは皆起きて、それぞれのともし火を整えた。25:8 愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。『油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。』 25:9 賢いおとめたちは答えた。『分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。』 25:10 愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている五人は、花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。 25:11 その後で、ほかのおとめたちも来て、『御主人様、御主人様、開けてください』と言った。:12 しかし主人は、『はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない』と答えた。25:13 だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。」
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「礼拝に備えて」

 私達の信仰は、一度持てばよいというものではなく、主の来臨の日まで常に新たにし、持ち続けなければならないものです。今日の日課の愚かな5人の娘は、自分の決めた予定の分だけの油で花婿を迎えようとしていました。花婿が遅れてきました。花婿が遅れたのはいいわけにはならない。花婿が主役ですから花婿の到着に合わせて、自分の勤めである火をともして迎えなければならなかったのです。


 愚かな5人のおとめは自分の考えの中で油を持って花婿を迎えようとして、自分の務めを果たすことが出来ずに、婚宴の席に連なることができませんでした。いつも神様のみ心を考え、神様に従う心を失わないように。またたえずイエス様に聞いてイエス様のみ心を行う者でなければならないんのです。

 その御心とは、互いに愛し合いなさい。わたしがあなた方を愛したように。」と言う事でした。それがキリスト者の備えるべき来るべき日に備えての油なのです。

 先週、教会に行くときにパスモで改札を通りました。しかし、降りようとしたら、赤い表示が出て改札口の扉が開きません。23度繰り返していましたが、駅員におかしいと尋ねました。「料金が不足しています。」パスモにチャージしてください、と言われて、しばらくチャージしていなくてカードが空になっているのに気付きました。

 後ろには23人の若者がいてにこにこしていました。しょうがないなー!と言うような顔でした。未だに最近の便利なものになれていない自分にはずかしくなりました。毎回改札を入る時に、残りの金額が出るからそれを見て少なくなったらチャージしないとね、と娘に教えられました。でも、私には通過する時にさっと残金額を読み取ることは難しい。いつも心がけて絶やさないようにチャージしておくことですね。信仰も。
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# by minitayori | 2017-11-18 18:01 | Trackback | Comments(0)