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「礼拝に備えて」7月15日 マルコによる福音書4章26-34節

7月15日 マルコによる福音書4章26-34節


◆「からし種」のたとえ「礼拝に備えて」7月15日 マルコによる福音書4章26-34節_e0191585_22011170.jpg


4:30 更に、イエスは言われた。「神の国を何にたとえようか。どのようなたとえで示そうか。それは、からし種のようなものである。土に蒔くときには、地上のどんな種よりも小さいが、蒔くと、成長してどんな野菜よりも大きくなり、葉の陰に空の鳥が巣を作れるほど大きな枝を張る。」

◆たとえを用いて語る

4:33 イエスは、人々の聞く力に応じて、このように多くのたとえで御言葉を語られた。 たとえを用いずに語ることはなかったが、御自分の弟子たちにはひそかにすべてを説明された。

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「礼拝に備えて」

 宣教に携わる人々(弟子達)への励ましと慰めの言葉と思えるイエス様の例えのお話。今と言う時代は宣教の難しい時代だと言われる。しかし、安易に宣教できた時代があっただろうか。

 最近、迫害の中で信仰を守り続けた長崎の建物や信仰継承の貴重な資料等があたらしく世界遺産になった。あの時代の人々の信仰の戦いと苦悩は私達の想像を超えてすさまじいものであった。

 私も熊本にいる時に島原でろう者の修養会をして、キリスト信者が迫害を受けた地獄谷と言われる、熱湯の沸き上がる温泉池を見てきた。この熱湯の中に逆さづりになって責め苦を受けた人々のことをもうと、今の自分達がくろうと思う事のいかに甘いかを感じさせられた。

 また天草のキリシタンの足跡を訪ねてやはりろう者を交えた20余人の集まりで旅を行った。ここでも隠れキリシタンと言う人々が、どんなに苦労をして信仰を守り続けたかを知ることが出来た。

 家の柱の中に切り込んだ十字架、観音像を巧みにマリヤ像に改造したもの。太陽が上がると太陽の光を浴びて十字架が浮かび上がる器などなど。弾圧をのがれて信仰を守ろうとしたひとびとの労苦と血の汗の後を見させてもらった。

 弟子達も、それに続く代々の教会も同じような苦労をしてきた。不インランドの初期の宣教師が住んでいたと言う家を見に行った。下諏訪の町はずれにあった。小さな家がまだ残っていた。この家に住んだ婦人宣教師が二人。石を投げられ、馬フンを投げられつつ恐怖の中で「神様の愛」を伝え続け、立派な信徒を生み出し、下諏訪から自転車で飯田市まで伝道に行かれたと言う

 一昨日、一緒の時に洗礼を受けた友人と電話で話した。いつも最初に出会った宣教師の話になる。人を愛し、イエス様の十字架を通して示される神様の愛を伝え続けていた。喘息を患い、空気のきれいな所に転地しつつ伝道を続けた。最後に喉頭がんで亡くなった。また昨年、ご婦人も天に召された。インターネットで私が投稿すると、必ず返事をくれた。

 足跡は小さいかもしれないが、イエス様が共に居てくださったから、そのまいた種は多くの信者が集まる教会、群れとして今も人々の心に残っている。

時が良くても、神様が愛された人々すべてを愛し継けよう。それが、召された私達の使命だから。生きているのは、時間が与えられている事。その時間をどう使うかが大切。どんなに小さな力でも、神様へのとりなしの祈りが出来る。この心の持てる信徒の集まる教会は、きっと神様の恵みであふれてくる。


# by minitayori | 2018-07-14 21:32

空き地に咲いていた花

空き地に咲いていた花
家のすぐ近くに庭を持つ家があった。四季折々に珍しい花が咲いて
楽しませてくれた。その家が建て替えか、撤去され、空き地になって
雑草の茂る一角となってしまった。でもその雑草の中にきれいな花が
咲いていた。名前を調べる時間がなかったが、清楚な花だった。
花は自分の生きるべきところで懸命に咲く。だから美しいのか、

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# by minitayori | 2018-07-14 21:24

池袋教会の集会室で行われたキリエ展

池袋教会の集会室で行われたキリエ展
日曜日には多くの方が来られたが、終日は30度を超す猛暑
厳しい暑さの中だけに来てくださった方に改めて感謝。
再開の喜びの握手の手の平が汗でぬれていた。
ありがたいことです。

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キリエ聖画展の様子
日曜から日曜(7月1日)まで、延べ百人近くの方が
見に来てくださいました。
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# by minitayori | 2018-07-07 22:27

礼拝に備えて キリエ聖画展を感謝して

7月8日聖霊降臨後第7主日 マルコ福音書3章20-30節
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3:20 イエスが家に帰られると、群衆がまた集まって来て、一同は食事をする暇もないほどであった。3:21 身内の人たちはイエスのことを聞いて取り押さえに来た。「あの男は気が変になっている」と言われていたからである。

3:22 エルサレムから下って来た律法学者たちも、「あの男はベルゼブルに取りつかれている」と言い、また、「悪霊の頭の力で悪霊を追い出している」と言っていた。3:23 そこで、イエスは彼らを呼び寄せて、たとえを用いて語られた。「どうして、サタンがサタンを追い出せよう。 3:24 国が内輪で争えば、その国は成り立たない。 3:25 家が内輪で争えば、その家は成り立たない。 3:26 同じように、サタンが内輪もめして争えば、立ち行かず、滅びてしまう。

3:27 また、まず強い人を縛り上げなければ、だれも、その人の家に押し入って、家財道具を奪い取ることはできない。まず縛ってから、その家を略奪するものだ。

3:28 はっきり言っておく。人の子らが犯す罪やどんな冒涜の言葉も、すべて赦される。3:29 しかし、聖霊を冒涜する者は永遠に赦されず、永遠に罪の責めを負う。」

3:30 イエスがこう言われたのは、「彼は汚れた霊に取りつかれている」と人々が言っていたからである。

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「礼拝に備えて」

 しばらく「みにたより」を休んでしまった。突然に便りが途絶えた方々には申し訳ないと思っている。2月3月に大切な人が召されたショックは大きく、そのショックが癒えぬままに、教会でキリエの作品展の依頼があった。引越しでしまいこまれたままの額しかなかった。

 気に入った作品は施設に寄贈したり、個人的な友人に貰ってもらったりして、まさに残り物しかなかった。しかも5年以上もしまいっぱなしで、何があるかも分からず躊躇した。しかし、これはきっと神様がわたしの心を励ますために備えてくださった大切な働きと信じて、準備を始めた。

 狭い部屋の押し入れの中の作品を探し出し、20数枚の絵を見て、これで展示会、個展と言うものが出来るだろうかと思った。何枚かは作成したが、目も体力も限界だった。しかし、主催してくださった婦人会は、一生懸命にっ成功させようと準備してくださった。「キリエ聖画展」役員会や教会の多くの方々のご支援をいただいて先週日曜日にやっと展示会を終えることが出来た。

 2時間以上のバス、電車を乗り継いできてくださった恩師。遠く九州から来てくれた友人、10数年ぶりに教会に来てくれた友人。教会の方々とささやかな切り絵展を通して和気あいあいの交わりと同時に、作品の意図を説明するわたしの言葉に深くうなずいてくださる方。その内にキリエのイエス様に訴えるように、家族の病気や伴侶を神様のもとにお送りした方が心の内を話し始めた。

 開催中一週間、猛暑の中だったが、貧しい絵であったかもしれないが、そこにイエス様がいらっしゃるような交わりが出来た。婦人会・役員会、お手伝いしてくださった教会の皆さん、参加してくださった方々、不思議な交わりが生まれた。初めて来た人や教会につまずいて長く離れていた人が、教会っていいですね!と帰りに一言言ってくださったのが嬉しかった。

 心を合わせて、一つの行事をする。その中心にイエス様がいらっしゃった。正直、少ない作品への不安と開催前に敬愛する方が何人も召されて心痛む日が続いていたが、この展示会で一番恵みをいただいたのはわたし自身だった。助けてくださった教会の方々に、そして見に来てくれた方々に「ありがとうと!」感謝したい。

 この後、何点かはサバの神学校に送りたいと言われ、災害に募金してくださった方々へのお土産にするという事で海外に渡ることになった。前任地の九州の教会でも展示会を計画したいと言う話だが、協議中とか。

「キリエ」が文字通り「主の憐みと祈りの集まり」として用いられるなら、と喜んでいる。
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# by minitayori | 2018-07-07 22:12

キリエ聖画展当日の池袋教会

キリエ聖画展当日の池袋教会
教会員の方の力作のポスターが眩しく見えました。
素晴らしいひと時の開始です。

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# by minitayori | 2018-07-07 21:57